思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

ご褒美

バレンタインを目前に、人にあげるものと自分のご褒美と、いろんな意味を込めてチョコを買いに行った。
 
バレンタイン前最後の金曜日夜ということもあり、売り場はものすごい人でごった返していたと思う。高級チョコレートを物色するにも売り場が狭く、忙しない気持ちになることこの上ない。
 
人の吐く二酸化炭素に嫌気がさして中心部から出てみると、売り場から少し離れた隅の方、女性に待たされているらしい男性が何人か立っていた。
 
彼らの、ただ時間が過ぎるのを待つような様子を見ていると、無性に同情の気持ちが湧いてくる。そういえばいつかの1月1日にも、こんな景色を見たことある。けれどこのバレンタイン、初売りと違うのは、この男性たちがプレゼントをもらう側にいることだと思った。
 
彼女個人の買い物ほど関係ないことに付き合わされているわけではないのに、どうにも不満げな表情。
 
これは一体…と思ってしまった。ごめんね。
 
 
 
けれどよくよく考えたら、私も自分へのご褒美も兼ねてこの売り場にきた一人だ。
 
売り場を賑やかす女性たちも、きっと(バレンタインを言い訳に)自分へのご褒美を買いに来た人が一定数いるんだと思う。高級チョコレートに目を輝かせる女性陣の眼中に、男性の影はあまり感じられない。
 
「男性にとっては、高いチョコ数粒よりも、原価はともあれ手作り料理の方がよっぽど嬉しいのかしら」と思ったり。
 
この様子を見ていると、私が小学生の時見聞きしていたバレンタインの機能は、もはや薄れつつあるのかもしれない。と、思った。
 
今や、バレンタインよりもハロウィンの方が経済効果が大きいらしい。女性が自分の「ご褒美」にお金をかける日と、男女関係なしにワイワイやるハロウィンと、見比べてみればその差も頷ける。
 
 
 
女子校生活が長かったおかげなのか、バレンタインは「自分たちが心ゆくまでお菓子を楽しむ日」という認識だった。
 
もちろんそれは同級生にお菓子を配ってみんなで楽しむ、学生みんなのために黙認されたイベントだったのだけれど、そこに男女の差は全くなかった。だって、差を作りようがないから。
 
女性から男性にあげる、というよりも、友達みんなにあげる、という感じ。好きだから、あげる。それだけ。
 
 
 
男女で楽しみ方の違うイベントは、バレンタインデーとホワイトデーだけのような気がする。
 
ひな祭りは基本的に女の子だけが対象で、子どもの日は子ども全員が対象。
 
バレンタインデーは女性に「男性へのプレゼント」という名目での経済効果を期待するし、ホワイトデーの動機付けになるイベントだから、企業も異様に力が入る。
 
バレンタインは女性が自分のために買い物する日に変わりつつあるのに、一昔前にやっていた女性to男性のプレゼントデーという封建的伝統のおかげで、いまだに会場の隅で待たされる男性たちのような犠牲者が出ているのかも、と思った。
 
なんだかねえ。
 
今のバレンタインが、価値観の変遷に社会が追いついていないイベントに見えてきて、なんだか、本当に欲しいものが見つけられなかった。
 
おいしいチョコレートに、罪はないのにね。みんなで食べるなら、なおさら大歓迎!