思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

やさしい強さ

Twitterで散々流れてきたあの広告の意図を考えていたのだけれど、そのものをあまりに強い言葉で攻め立てようとする構図のほうがよっぽど怖くて、夜中の布団で物理的に震えた。
 
現実社会でこんな袋叩きに遭ったら、こわいよなあ。
 
 
男尊女卑、人権、平等、みたいな話は大変センシティブで、女性が当事者として怒りに声を荒げる気持ちは大変わかる。
 
私自身も男女という区分でいうなら当事者側なので、こういう問題で違和感を感じた瞬間、怒り心頭になる気持ちはとってもわかる。
 
わかるんだ。
 
けれど、顔の見えない相手を責める前に、その発言の側面を見る必要があるんじゃないかなと思った。
 
例えばこれを作った人は男性なのか女性なのかとかそのレベルでもいいから、そういう側面を想像するだけでも大分違うと思う。
 
高校時代、嫌いな先生に怒られた時は
 
「でもこの人も、あとで怒ったことを後悔する瞬間があるかもしれない」
 
と思うようにしていた。
 
その先生のパーソナルな隠された部分を想像で補うだけで、少しの反感はおさまると学んだ。
 
確かにこれは手間だけど、自分の好みに関係なく情報が目に入る時代においては、そういうやさしい強さが、結果として自分を守ることになると思う。
 
 
 
特にこの一件に関しては反感や怒りというネガティブな感情が(あくまでネット上では)大多数だったことが拍車をかけていて、リプライが続けば続くほど「この広告をいかに口悪く言えば、この憎しみが伝わるか」ということに主眼が移っているような感じがして、いや、そこなのか?という、疑問がね、湧いてしまって。
 
 
 
 
 
ただこの表現はあくまで広告として、不特定多数の人に向けて発信しているものなので、本来であれば側面を覗かれなくとも意図がストレートに伝わる表現じゃないといけなかったんだとは思う。
 
こういうネット界隈の爆発を狙っていた物なのであれば成功だと思うけれど、元旦という大変メデタイ日にわざわざ怒りで名前を売るようなことはしないんじゃないかな、と思う。
 
そうだとしたら、一年に一回しかないのに、そんなのもったいないよ。とも。
 
 
 
 
私個人としては、この言葉が支離滅裂だとか、写真が意味わからんとかそういうのはあまり感じなかった。
 
写真がきっと女性を取り巻く社会の現状なんだろうなと思ったし、
 
「こんな状況でも、年号が変わるからって『女の時代』に変わると思いますか?そもそも『女の時代』と『男の時代』って、分ける必要ありますかね?」
 
という問いかけなんだろうな、と。
 
平たくいえばそういう意味なんだろうなと思って、まあ、そうですね、という感じだった。
 
 
 
朝この広告を見て、夜の大火事を見て、いろんな受け取り方をする人がいるんだなと思うと同時に、これはもしかすると、ネット上だけの反応なのかな、と思ったりもした。
 
ネガティブな言葉は感染力が強いので、実態よりもはるかに大きく見えることがあるし、「この意見に自分も属した方がいいのかも」という気持ちになりやすい。
 
クラスメイトの「あいつ、うざいよね」という言葉には、とりあえず同意しておく、あの感じ。
 
 
 
マイナスの強さに惑わされて、自分が思ったことを忘れないように、曲げてしまわないように、世論のふりをした大きなうねりに自分が飲まれないように、自分を強く持とうと、改めて。
 
加害者にも被害者にもならないためにね。