八百万
いつも使っているBluetoothイヤホンの調子が悪くて、「もっと大事にしてあげればよかった〜」と思ったりなどしている。
そういえば昨日も愛用していたイヤリングを片方なくして、なかなか落ち込んだ。もっと大事にしてあげればよかった、とか、もっと使い込んであげればよかった、とか。
普段から使っているものの調子が突然悪くなったり、しばらく使っていたものを無くしたりするとモノに対して本当にごめん、と思えてくる。
幼稚園に通っていた頃から今も一貫して「モノには命がある」と思っているから、必要以上に大切に使おうとするし、それがしばらく使っていたものであればなおさら愛着が湧く。
たとえばパソコンやタブレットみたいなガジェットは命が長いものだしその綺麗さに人格が出るような部分があると思うので、「必要以上」の大切さはあまりないと思う。どれだけ優しく扱ってもキリがない。
けれど付箋とかペンとか、そういう細やかなものにもちゃんと命はあると思っているから、小さなものにも優しくしようと思う。インクがなくなった時には「ありがとう、さようなら」と言って捨てる。
メルヘンお花畑みたいな発想かもしれないが、でもそういう小さなものにも感謝できる人であろうとするところから、人の人格みたいなものは作られるんじゃないかと信じている。
ある種、自分がいい人であろうとする努力の一貫みたいな部分があるのかもしれない。
でもその結果として人もモノも分け隔てなく丁寧に接するゆとりが生まれると思うし(余裕があるときだけ)、ガタガタ音を立てて生活するようなガサツさは軽減されるんじゃないかと思う(もちろん、余裕があるときだけ)。
朝調子の悪かったイヤホンは、一度Bluetoothの接続をつなぎ直したらちゃんと動くようになった。
どうやら優しくするとかどうこうの話ではなく、単にメンテナンスが必要だったというだけらしい。