思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

本の読み方

最近本屋さんに行くと、どの本にも「映画化決定!」「ドラマ化決定!」の帯が巻かれているような気がする。映画化もドラマ化ももちろん漫画化も、その本を読んでいるファンにとっては嬉しいことなのかも知れないけれど、一度も読んだことがないワタシからすると正直「映画を観に行けばいいかなあ」と思ってしまう。ドラマ化されているならなおさら、お金を払わずにその本の内容を把握することすらできるわけだ。
 
小説をたくさん読みたかったのに、本屋さんから出る頃には「今は小説を買わなくてもいいかなあ」と思って出てしまう。何か新しい本を買おうと思っていたんだけどなあ。
 
私は「無類の本好き」というわけではないけれど、まあ人並みになら、本を読むこともある。赤や黄色のうるさい帯は、小説を買ってみようかな、というささやかな欲を押し殺しているような気がする。
 
 
 
本が好きだと言う人には、「小説が好きな人」と「説明文が好きな人」「哲学書が好きな人」という風に、いくつにも分類することができる。小説が好きな人の書く文章はどこか叙情的で場面が想像できるような文体だし、説明文が好きな人は解説が上手な堅めの文体になる。
 
書いた文字がその人を表すときもあるけれど、書いた文章もその人の内面を映し出す鏡になるんだなと思う。
 
 
 
私は年間何百冊も読むほど本好きと言うわけではないけれど、小説であれば何時間でも読めるような気がしている。ここ数年はベスト3冊を何度もなんども読むような読み方をしているので、新しい出会いがないとも言えるし、好きなものをひたすらに深く掘り下げているとも言える。
 
どちらかというとあまりいい傾向ではないような気がしているので、出来れば新たな相棒に会いたいと思ってはいるけれど。
 
ずっと読んでいる野島伸司の小説は、売りに出したり、また手に入れたくなったりを繰り返して、今手元にある文庫本はどれも同じタイトルで三代目にもなってしまった。ウサニ、スムスムムリクの恋人、スコットランドヤード・ゲーム。
 
どれも軽快な語り口でさらっと読める、まさにドラマの脚本のような小説だ。
 
私の好きなこれらの三冊も舞台化されたり、漫画化されたりしているけれど、どちらも本を読み終わった後に公開されたものなので、あまり舞台を見てみようとか、漫画を買ってみようと思うことはない。
 
コンテンツ同士のカニバリズムみたいに思ってしまう。
 
もちろんどちらかをトリガーにして別の媒体を試してみる人も一定数いるんだと思うけれど、私の場合、ひとつのコンテンツを楽しんでしまうと、それ以外の同じものに対してはあまり興味が湧かなくなってしまうらしい。どちらも違ってどちらもいい、みたいに、それぞれの旨味を抽出して楽しめたらいいのになあ。
 
柔軟性はとても大事。そのためには、新たな小説との出会いも必要なのかも知れない。本屋さんに行こうっと。