どうして恋人たちがペアリングをするのか考えた
雑事。
カップルがペアリングをする意味がイマイチわからない。というか、全くわからない。
妬み、僻みだと言われてしまえばそれまでなのだけれど、私はこの「巷のカップル、ペアリング導入しすぎ問題」についてずっと考えていた。
ペアリングは手錠みたいだ、と思ったりもする。
もちろんこれは私個人の見解だし、街を歩くカップル(ペアリング導入済み)を見ても「あー彼らは(いつ別れるかわからない、『お付き合い』という口約束をしているだけなのに)ペアリングをすることで二人の関係の強固さを誇示しているんだな、大変いいことだな」としか思わない。
斜に構えすぎてもはや垂直方向とも言える。
これを「これだから女子校育ちは……」と思われたくないので、単に私個人がこういうひねくれた可愛げない人なだけだ、とはじめに言っておく。
結婚の場合、指輪をするのは理にかなっていると思う。
様々な法律の手続きを終えた男女が、そのオフィシャルな関係を目に見える形で(ある意味誰かへの防御線として)周りに知らせることはなんら不思議なことではない。
その安定が保証された関係を守るために、保身のために必要なシステム。
じゃあカップルは?自由恋愛のカップルはどうなの?
どうして口約束だけで成り立っているその関係を守るために、指輪といういやでも目につくアイテムを身につけてしまうの?防御力アップのアイテム?
自分たちの関係があまりに希薄だから、モノを介在しないとその関係を継続させられないのかな、なんて邪なことを考えてしまう。
相手への信頼だけで成立する「カップル」という関係は、なんだか不思議で自分勝手なものだなあと思う。信頼しているから、言っていることは信じる。信頼しているから、相手のことも許す。信頼こそ資産。
怒る時も「あなたのこと信じてたのに!」って、いやいやいや。
荷が重いっすわ。
もちろん、相手からの期待に応える義務は相互に発生しているはずだから、こんな怒られ方する人はそもそも恋人作る資格あんのか?という話なのだけれど。
本当に相手のことを信頼しているなら、二人をモノでつなぎとめる必要ってあるの?
それとも違う理由でペアリングを導入する人が多いのかな。
多分、多分だけど、単純にその人と一緒にいない時もそのペアリングを身につけていることで一緒にいるかのような気持ちになるのがいいのかな。
または、お互い本当のことを口にしているかはいつもわからないから、目に見えてそこに存在している有機物を偶像にしているのかな。
または、結婚指輪に慣れるための練習なのかな。
世の中全ての関係は異文化コミュニケーションだから、自分と違う価値観もいつのまにか受け入れているのだけれど、ペアリングをしているカップルを見ると、どうも疑問と興味が湧いて仕方がないのです。
なんだかんだ言っても、自分が彼氏からペアリングをもらったらきっと嬉しくて嬉しくて自慢してしまうんだろうなあ。
そういう本当に俗物なところが好きよ。
こういうとりとめのない話を、考えているけれど誰と話すでもない話をだらだら公開します。