思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

今年の目標

昨日、2019年の目標を決めた。
 
日付にして3月17日、新年とも新学期ともつかない、中途半端な時期だ。
 
今年は無駄な天邪鬼精神が働いて、新年の目標みたいなものを立てていなかったので、まあ、気が向いたんならいいじゃないかと。
 
これまでも暦に左右されて目標を立ててみたり抱負を語ってみたりはしたものの、12月31日の23時までに実現したことはいくらあったんだろうかと、考え出せば疑問は尽きない。
 
第一、その思い立ったがなんとやらをうまいことやろうとしたら、ある程度の自由な時間や生活とお金といった、とにかく予想できる限りの「自由」が必要だと思う。
 
 
 
TwitterFacebookを見ていると「起業しろおじさん」みたいな種族もよく見かける。
 
いくら現代が自由な働き方を推奨されるようになったと言っても、87%がサラリーマンの日本にておいては、彼らはマイノリティと言って差し支えないんじゃないかと思う。
 
しかもそういうマイノリティはひとつのものを追い求める潔い諦めを持っていたりするので、守っているものの数が他の人とは違ったりする。
 
けれど彼らは「資本主義にこき使われる歯車でいるのはもうやめよう」的な言説を飽きるほど語っていて、それに踊らされる(憧れを抱く?)人も少なからずいる。
 
マイノリティたちが踊らせた人々の人生に責任を持っているわけもなく、彼らはそういう人から搾取し、シーシャの煙のような幻を吐き出して、また取り巻きを大きくしていく。
 
そういう人たちは「自由がないと好きに生きていけない?それはあなたの考え方が古いのでは?」みたいなことをよく言うが、半分本当で、半分嘘だと思う。
 
ネットの大海には大きなことを抜かす(私の主観で)「普通じゃない人」がたくさんいて、正直なところ、その魅力に取り憑かれそうになることもある。
 
けれどそういうときだからこそ改めて、現実世界の足元をきちんと見つめておかなくては、と思う。
 
彼らの語る嘘か本当かわからない話は、人目につかない泥臭い努力をすっ飛ばして大きな世界を見せようとしているからか、憧れのような気持ちを抱かせようという下心が見えてチョット気持ち悪い。
 
 
 
個人の発信力が云々、インフルエンサーが云々と言われるようになっても未だ既得権益に対する信仰が厚い私は、やっぱり古典的で思考停止した人と言われてしまうのかしら。
 
普通、普通じゃないという線引きは本当に主観的で大した問題ではないことだと思うけれど、それでもやはり、新しいものや人に対する最初の壁が、他の人より厚いことは自覚しておいて良さそうだ。
 
 
 
ちなみに昨日立てた今年の目標は、ひとりで海外旅行に行くことです。
 
誰でもできることでも、私には難しいことだってあるんだから、身の丈にあったゴールを見据えてもいいんじゃないかと思ったわけ。