思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

想像する、って、どうやるんだっけ?

鮮度が自慢のロブスター専門店に連れて行ってもらった時、ついさっきまで生きていたはずのロブスターがいつのまにか捌かれて、お刺身になった状態で再会した。


捌かれる瞬間ってきっと痛いんだろうな、辛かったね、でも私がちゃっかり頂くよ!と思っていたら、実は、彼らの痛覚は頭部に集中しているらしい。
なので、頭から下が切られたところで「痛い!」とか「辛い!」とかいう感情が湧かないというわけだ。いいのか悪いのかよくわからん。


私がロブスターだったら、せめて切られた瞬間くらいは泣かせてほしい。本当はあのロブスターたち、なんて言ってたんだろう。

小さい時からずっと、そういうことを考えるのが好きだった。女の子はみんなそうなのかもしれないけれど、手元にあるぬいぐるみや人形と会話したりお互いを喋らせたり、彼らの世界を自分の頭の中で空想する。子供の頃のシルバニアファミリーやリカちゃんが、今回は目の前のおいしいロブスターに変わっただけ。勝手にアテレコしてごめんね。

 あれこれ考えを巡らせていてふと思った。

言葉の通じない彼らの思考回路を想像するのはこんなに楽しいのに、相手が人間になると急に難しくなるから不思議だ。

 


最近、人の感情を想像するのがつらい。目に見えないのにそこにあるもの、考えるの苦手。
感情は写真に残らない。可視化する術もない。心電図みたいにわかりやすい波形で感情を表すことができれば、どんなに楽チンなんだろう。表情は所詮仮面に過ぎない。
相手の気持ちを想像しても、何もわからない自分に段々と悲しくなる。

他人なのだからわからなくて当然なはずなんだけど、「人の気持ちを考えましょう、想像しましょう」の教育に晒されてきたので、私は落ちこぼれだなあ、と思ってしまう。


そもそも、自分のことすら少しも分からないでいるのに、それなのに、『社会は人と人の関わりで成り立っている』なんて、大きなこと、言いやがって。

 

本当は、美味しいエビフライとたくさんの睡眠と少しのセックスがあればそれで十分なはずなのに。
ゆったりと坂を下るような人生を、自然の摂理に則って加速度的に走りたいだけなのに。

それだけで十分なはずなのに、自分の機嫌の取り方もわからないまま、私は、人の機嫌を取ろうとヘラヘラ笑って過ごしている。相手のことを考えるとかいう実用的な想像力がない人のことを、社会不適合者と呼ぶんだと思う。
私は自分を、社会に適合した緩衝材だと思ってるけどね!

 


わかる、わかるよ。
確かに社会は人との関わり合いだし、私たちは一切の支えがなくなれば72時間も生きていられない、か弱いサル目ヒト科ヒト属だよ。

でもこんなに空気読まなきゃダメなのかな。こんなに多くの他人と密接に関わっているのに、その中の誰かひとりから嫌われるのすら恐れてモソモソしているの、私だけなのかな。
人と繋がりすぎる現代、繋がりの数だけ心臓にたくさんの管が刺さって、他人の一挙一動が気になって、その都度自分と比べて卑屈な気持ちになっている。そうです私は小さい人間です。

 

私はきっと、自分のことがわからないまま人のことをわかろうとするのに疲れてしまったんだと思う。数字で可視化できる繋がりじゃなくて、目に見えないけど何か感じるものがある、そんな確かな関係が欲しいんだと思う。

人と密接すぎる最近がとても息苦しくて、誰もいないところに行きたいなと思ったりもする。半日もいればデトックスできると思う。それ以上放置されると、多分寂しくて帰ってきちゃうけどね。


最後に、人のことを全く考えず生きたいというわけではない、というささやかな保身を記しておく。
人に好かれるために打算的に行動することに疲れてしまっただけなの。だから、他人がみんな敵に見えるとかいう話じゃないの。だから私を嫌いにならないで。全人類から愛されたい。

 

とりとめもない忘備録から、壮大な問いが生まれることもある。
君たちはどう生きるか、そして私の場合は?
あらゆる局面においても、いつか安心して「キミらしいね、本当にそうだね」と言いながら胸を張って歩けるようになりたいね。
今のままでは、彼らが失敗した人体錬成みたいにちぐはぐだよ。

 

ところでこの間は、また別のお店でクルマエビの踊り食いを食べた。本当に私は海鮮料理が大好きなのです。
このお店では目の前で2尾の頭と体をそれぞれ引きちぎって、体の方を氷の山に刺した状態で提供してくれる。ビジュアルはなかなか刺激的だが、頭を分解されていない分彼らは何かを考えることができる。(最後にその頭も素揚げして出してくれるんだけどね。本当においしいの。)

痛みと感情は別々でも、体が動かないことに気づいたら彼らもさすがに泣けてくるかもしれない。言葉が通じないだけで、体が動かなくなったら(というかなくなったら)少なくとも動揺はするでしょ。

 

まあ、とってもおいしかったんだけどね!ごちそうさまでした。