ぶどうジュース
行き交う人も少ない片田舎の駅で、可愛らしい男性を見かけた。
強面の、片手にぶどうジュースを持った、30代くらいの男性。ペットボトルが30mLサイズというのにも彼のステキさが詰まっていて、一瞬心奪われた。と同時に、彼の身の上事情を(頼まれてもいないのに)想像してしまう。
その駅から電車で30分くらい先の都市部にはきっと彼の勤める地方支社があって、農村部への営業でたまたまこちらへ来ていたんだろうと思う。
疲れた体で自宅へ帰れば、小さな娘とカワイイ奥さんが待っていて、その娘用にとストックしているぶどうジュースを夜な夜なこっそり飲んだりしているのかもしれない。営業で疲れた体には、きっと甘くてやさしいぶどうジュースがちょうどいいんだと思う。
妄想の域を出ないこの遊び、誰のことも傷つけず、ただひとり私だけが楽しめるのでありがたい。
けれどもなるほど、これがギャップ萌えというやつか。
「ギャップ萌え」という言葉は、人口に膾炙した、というのもおこがましいくらいに市民権を得たけれど、いや本当に、この言葉はいつまでも心に留めておきたい。可愛らしい女性がテキパキ仕事をこなす様子を見ると、なるほど、これもまたポジティブなギャップ。
金髪タトゥー入り喫煙者が教育事業に従事している時のアレとか、ヤンキーが捨て猫を助ける時のソレとか、それもまたギャップのひとつ。
どちらかというと、ヤンキーが捨て猫を助ける事例はネガティブからポジティブへのジャンプが大きい分プラスへの振れ幅が大きくなってお得な予感がする。
上京前、私のオバアチャンからは「女は愛嬌」という格言を受けた。
けれどその愛嬌も、隠されて初めて発揮する本領というのもある気がする。私のギャップが覚醒する日はまだかまだかと思っているうちに、気づけば平成も終わりを迎えようとしている。
日の目を見ないギャップなら、今すぐメルカリで取引してやりたい。
芽生えすらいつになるともしれないこの種は、果たして誰がいくらで買ってくれるのだろうか。