思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

回顧

お久しぶりです。お元気ですか?私は元気です。
 
本当に笑っちゃうくらい久しぶりなんですが、あれほどメチャクチャに更新していたブログをぱったりやめてから、私は文字通り何もしていなくて、サンドボックスゲームでひたすら整地をしたり、テトリスの最高記録を毎週のように更新したり、まあそういう具合に、文字通り何もしていませんでした。
なんたる虚無!
 
 
とはいえ、今年の年始あたりにはいろんな節目が終わったという感じがしていて、それと同時に、その峠を超えたおかげかなんなのか、どんどん普通の人になっています。
おかしいね、例のアレって個性が求められるらしいんだけど、私はどうやら違うみたい。フシギチャンが過ぎたから、社会に合わせてチューニングしたとポジティブ(に見せかけたネガティブ)に捉えた方がいいのかもしれないね。
ああ本当、イヤになっちゃう。いっそのこと、笑えちゃう。
 
人と違うことに対する恐れみたいなものが、年を重ねるごとに大きくなっている。そういう自分を感じるたび、加速度的に自己肯定感が下がって下がって、少し前の自分に戻ったみたいな気分がする。
 
お兄さん方は、どうですか?
お姉さん方は、顔色伺ってますか?
ワタシも漏れなくおんなじです。イヤになっちゃうね。ね?
 
 
話題の映画を観たあと、余ったポップコーンを捨てるのもそこそこに、SNSハッシュタグを検索する。
新しい環境に飛び込んだとき、人の印象に残ることよりも環境に馴染むことを優先する。
 
同じものを見た赤の他人と、同じことを感じていない自分は発言する権利がないんじゃないかと思う。
飲み会のあの席で、輪を取り持つ(フリをして空気のように振る舞う)以外の能が自分にはないんじゃないかと思う。
 
本当は映画を観終わった瞬間に「ぜんっぜん面白くなかった!」と叫びたいし、飲み会では「ディズニーランドの待ち時間に最適な手遊びは何か」とかいう不毛な議論がしたい。リズムに合わせるゲーム、大好きなんだよなあ。
 
 
映画を観たあと他人の感想を調べることも、新しい場所で親しみやすそうに振る舞うことも、それ自体はなんら問題がない。
けれど最近の私は、人が感じたこと・思ったことに寄せようとしているらしいし、全く初対面の人と話すたび、相手の顔色ばかりを伺って、同調することしかしないらしい。
 
要は人と同じであることに安心するようになっているわけ。
 
無意味な本能だと思う。
そして無意味だと思うと同時に、そう変わっている自分のことを心底怖いと思うし、心底嫌だと思う。
心底嫌だ、本当に。君はなんのために生きてるのさ?
 
人の才能を貶めるようなことばかり言って、一見才能のように見える努力を見ようとしない。
心底嫌だと思う。君はなんのために生きてるのさ?
 
 
最近の自分はキライな人間像の全てを詰め込んだパンドラの箱みたいなヤツで、本当、笑っちゃうくらい、キライもキライ。せめて手だけでも殺菌してくれたらいいのにね。
 
変わる努力とかなんとか、要はそういう悪い習性は努力で矯正できると思っていた。けれど染み付いたものを少しずつ変えるには、思っているよりも限りなく長い時間がかかるような気がしている。
 
歯の矯正って、少なくとも3年以上は見積もらないといけないらしい。当時ワタシを支配していたネガティブな気持ちは、一体どれだけかけて消し去ったんだっけ?そして今回はどうかしらん?
 
 
世の中いたたまれないことや悲しいことや辛いことばかりがお涙頂戴の文脈で語られることが多くて、いつの間にかそんなニュースを避けるようにテレビを見ることすらなくなりました。
 
けれど一番イヤな奴は離れたくても離れられない場所にいて、共存するのが難しそう。
なんで身体一つの中に、二人分の目を作っちゃうのかな。私が見張っている彼女は、ホント、私がして欲しくないことばかりしていてイヤになる。
 
二人分の空き部屋はないんだから、彼女にはもう早く帰ってもらいたい。
同棲解消、婚約破棄。後生の頼みだから、早く実家に帰ってくれ。僕らはもう終わったんだ。
 
そう罵倒されてメソメソする彼女を見ると、私はやっぱり肩を抱いてしまって、もういいよ、今日は早く寝よう、と慰めてしまう。
 
明日に備えて、早く寝よう。