思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

手入れは人の為ならず

ある教授が、自分の大学時代について教えてくれた。
「私は大学時代、占い同好会を立ち上げて女性の手を合法的にベタベタ触っていたのだが、途中で気づいたのだ。『占いのように、自分ではどうにもならないところで戦うのではなく、自分の力で勝ち上がってく業界で働きたい』と。そして私は広告代理店に就職したのだよ」と。
 
なるほど、と思うと同時に、いやいや、運って結局、自分がどれだけ準備したかが如実に反映されてるだけなのでは?と思った。
思うに、「運が良かった」「運が悪かった」というのはどれも自分の注意力と準備の周到さによって左右されるものだと思う。
 
例えばアンラッキーにも家の鍵をどこかに失くしたなら、カバンの中に鍵の定位置を作っておけば良かった話だし、ツイてなくて電車の遅延に巻き込まれたなら様々な可能性を考慮してもっと早く家を出ておけばよかったわけだ(これは程度の差があるとは思う、確かに)。
 
女性の話題によく上がる「ワタシ、本当に男運ないんだよねえ」というやつも、悪そうな男はどこかしらになにかしらのサインが見え隠れしている。というか、同じコミュニティに属しているなら噂話がいくらでも蔓延するし、悪いヤツは大抵異常なまでに魅力的に見える。異常なまでに。
私はその魅力の裏に、凶暴な魔物が武器を構えてこちらを見ている気がしてゾワッとしてしまう。
そういうところに早く気づいて、身を守るために逃げればいいだけの話だろう。これも程度の差がある、というか、アタマでわかっていることが急にすくんでできなくなるのが色恋沙汰のコワイところなのだけれど。そういう人、身の回りにたくさんいるなあと、彼女たちの顔が浮かんでは消えたりする。
 
そもそも、男運とか女運とか、得体の知れない目に見えないモノに頼るのやめたら?と思う。
それってあれだからね、雨を見て「神様が泣いてるんだ」と信じて疑わなかった古代の神話と同じことだよ。
目に見えないものに力を持たせて、自分の身を守るみたいな、そういうやつ。
 
かの有名なルミネの広告シリーズには、「恋は奇跡。愛は意思。」という言葉がある。いやもう、ほんとそれ。
これまで展開した持論と矛盾を感じる人もいるかもしれないが、思うに、奇跡は運がいい時に起こるものではない。日頃の準備と鍛錬によって引き寄せるものだ。
 
ムダ毛の処理は毎日してる?
下着は毎日同じセットで着てる?
カバンの中はごちゃごちゃしない?
口紅はすり減ってない?
肌は丁寧にお手入れしてる?
化粧直しはキチンとした?
ヘアスタイルは大丈夫?
必要以上にウルサイ声量になってない?
LINEのID交換までに携帯の充電は持ちそう?
ほら、ファンデーションよれてるよ!
 
女性に限って言えば、こういう小さな小さな積み重ねがあって初めて奇跡を引き寄せる。
そして前に書いた「準備と鍛錬」が求められるのは、男性よりも女性の方だと思う。ほんと、嫌になるけどね!
ネイルにいくらもお金をかけたり、定期的にサロンで眉を整えたり、高価な全身脱毛に通ったりするのは他人に自分を誇示するためじゃない。「情けは人の為ならず」とかいうけれど、それと一緒。「手入れは人の為ならず」なわけだ。
 
そして話を恋愛以外にも広げると、チャンスをものにするために、毎日トイレ掃除をしたり神社で願掛けをしたりしている人が少なからずいる。彼ら彼女らは、来たるべくして来るチャンスのXデーを万全の体制で迎えるために、日々自分を整えるためのメンテナンスをしている。それはアイドルのスカウトかもしれないし、大学受験合格かもしれない。何も大きな成功の奇跡に限った話ではなくて、ほんの些細な「家族の幸せ」という奇跡のためかもしれない。
 
こういう儀式を経て、私たちは自分の力で、さも偶然だったかのように奇跡を引き寄せようとしている。でも実はこれ、奇跡でも偶然でもなんでもない。
ただ、お金や時間をかけたお手入れが回りまわって自分のところに返ってくるその瞬間のことを、人はわざわざ名前をつけて「奇跡」と呼ぶのだと思う。