思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

グーで殴る系コミュニケーション

人を殴った経験はこれまでに一度もないけれど、もしそういう局面に出会ったら、私は痛そうな目の前の人をみて悲しくなるし、殴ってしまった自分への罪悪感で死にそうになると思う。

人を傷つけるには多少の覚悟と努力と無理が必要、そしてコミュニケーションとかいうカッコイイ横文字は、まさに無理しないと成立しないスポーツだと思う。

ここで言う「何かを伝える」は、単に話をすることではなくて、何かメッセージを伝えることを言う。私はこれまでの人生で、どれだけのメッセージを人に伝えてきたのだろう。いつでも誰かが真摯に受け止めてくれたので、人よりその経験が少ないような気がする。アリガトウみんな、優しい世界。
そもそも無理をしてまで人に伝えたいと思うことそれ自体が幸せなことなのかもしれないけれど。

 

 人に何かを伝えるには、多少の無理をしないといけないらしい。

伝える内容によって『無理』のニュアンスは少しずつ異なるけれど、私にとっての一番の『無理』は人から嫌われる可能性を孕むことらしい。いつもみんなから愛されたいアイドル気質を持っている私にとって、人から嫌われたり、拒絶されたりすることはとてもコワイ。いつだってチヤホヤされて生きていたいよ。言葉で人を失うようなことはしたくない。

 

少し前、本気でこれを伝えなくては、という場面に直面したとき、「ああ、人に何かを伝えるってこんなにコワイことなのかあ」とぼんやり考えた。なんだか息が浅くなる。緊張したときに感じる頬の緩みも久しぶりに感じた。物心ついた時から、緊張するとヘラヘラしてしまう。心の防衛本能とも言うべきこの現象、果たして共感を得られるだろうか。

そういう場面は、この人生であと何回直面するのだろう。無理して何かを人に伝えるなんて、あんまり積極的に体験したいものではないけれど、経験が少なければ少ないほど、人としてペラペラになってしまう気もする。本当に言葉を選ぶ瞬間というのは、人の一生でどれだけあるのかな。そしてそういう時、私たちはきっと言葉を選ぶのではなく、言葉に選ばれる立場に回ってしまう。

 

どれだけ選りすぐり先鋭の言葉たちを出場させても、相手に意図が伝わらなければ本当にただカナシイだけなので、こういう大事な局面のために、私たちはいつも言葉の貯水タンクを満タンにして、引き出しいっぱいに慣用句のへそくりを蓄えておかねばならないのだなと思うのです。そして来たるその日のために教養や知識を装備しておいて損はないだろうと思うのです。
今日出会った言葉を未来への貯金にして、カワイソウな私が将来無理をしないよう願うばかりである。