なりたい職業ランキング
2017年に公開された『小学生のなりたい職業ランキング』で、YouTuberがランクインしていた。14位から6位への大躍進だった。
どうして小学生にYouTuberという職業が人気なのか。単純に、小学生は「楽しそうなことができる仕事だから」なりたいと思っているんだと思う。
そんな単純かな?と思うけど、身近な小学生を見ていると、彼らは楽しいことに対して信じられないほど敏感だ。
どんなことでも娯楽に昇華できるあの才能は本当にすごい。
「好きなことで、生きていく」という、YouTubeの広告をよく思い出す。
最近は、自分が好きなことを仕事にするのが、必ずしも幸せとは限らないと思うようになった。きっと私も、悪い意味で大人になったんだと思う。
たぶん、「好きだから」という思い込みが強ければ強いほど、その幻想解けた時の衝撃も計り知れないことが分かったから。
言われてみれば当たり前だけど、好きなことが得意であるとは限らない。
好きこそ物の上手なれ、という言葉があるけれど、それはあくまで思い込みの中にいるから言えることなんだと思う。
絵を描くのが好きな人が、漫画家になったり、デザイナーになったりするのは、好きなものが得意であるという思い込みの世界で、他の人よりもつよくなるために継続した結果なんだと思う。
そして同時に、彼らは試行錯誤や理屈抜きにそれを続けていたわけじゃないと思う。
「好きだから」というだけでは、きっと漫画家になることもできないし、デザイナーになることもできない。
好きなことで他の人よりも優れた成果を残せるって、どんなに辛いことなんだろう。
自分の得意なところを伸ばすことも必要だけど、それと同じくらい、自分のできないところが恨めしくなるんだと思う。
世の中には「現実をみなさい」と言う人がたくさんいる。ゲームが好きだからと言ってプロゲーマーになれるわけじゃないのよ。漫画が好きだからと言って漫画家になれるわけじゃないのよ。
好きだからというそれだけでは、「好き!」というそれだけで終わってしまう。だから、現実を見ろという人たちの言い分は8割正しい。
好きなもので成果を残すためには、自分ができないことにも目を向けなければならない。好きだという幻想の中にいると、好きなものしか見ようとしない。現実が見えない。だから成功しない。
ありがたい忠告は真摯に受け止めるべきだ。
見るからに有能で、冷酷な話し方をする人と話したことがある。
きっとこの人はすごくプライドが高いんだ、とすぐにわかったけれど、その人は、「この会社で自分が普通の人だと思うことほど惨めなことはない」と言っていた。
私が見つけたプライドの片鱗は、かなり遅くに手に入れたものなのかもしれない、と思った。
コモディティ化の恐怖は誰にでもあるものなんだ、と思って、少し安心してしまった。
環境で自分が形作られているのは私もそうだけど、本来それ以上にあるはずの個性は、一体どこに行ったんだろう。
続けることで得られるものはたくさんあるけれど、続けることで失うものもたくさんあると思う。
意味なく続けるくらいなら、サクッと切り上げて次に行く見切りの良さがあってもいいのかもしれない。
だらだら続けることが1番楽で、省エネで済む。自分のしょうもないプライドと、未来の自分を天秤にかけて、さあどちらを救うのか。
今の私に迫られているのは、そういう切羽詰まった二択なのかもしれない。