開放感
長いようで短かったテスト期間が終わり、長すぎる春休みがやってきた。
さすがに何年か同じ内容を勉強していると、多少気を抜いていてもなんとかやり過ごせてしまうという、あまりよろしくない学びも得た。
この間話した人は、「私は、いかに楽して人生をやり過ごすかに全力を注いでいる」と言っていた。
彼女の話を聞いた時には「楽するための試行錯誤が楽しいのかしら、なるほど…」と思ってしまったけれど、今なら彼女の気持ちがとてもよく分かる。
将来の楽チンのためなら、今の苦しみは楽チン貯金だと思えば楽しめる気がする。
若い時の苦労は買ってでもしろ、みたいな価値観は昔ほど強くないはずだけど、実際のところ、今でもそれは真理なのではないかと思う。
苦しみたくないけど、苦しみの種は今のうちに取り除いておきたい。
苦しみのテストが終わり、やがて自由の春がやってきた。
けれど実際は、「春来たる!」という開放感は、今のところあまり感じられない。
テストが終わる前には「あれやりたい!」「これやりたい!」と思っていたはずなのに、時間ができたらできたで、無駄なことを考える時間が増えてしまう。
あまりに大きな時間の穴が生まれると、むしろ広がり続ける世界線の中で身動きの取り方がわからなくなってしまう。
暇がなければ哲学は生まれないと言うものの、今の私はあまりに時間がある(ような気がしている)ので、哲学どころか新世界すら生み出せそうな気がしてくる。新世界作ったら何が欲しいかな。
RPGに出てくるみたいな、職業選択ができたらいいなあ。
この間『勇者ヨシヒコと魔王の城』を見ていたら、ヨシヒコが職業を自由に選択できるシーンがあったんだった。
あんな感じでサクッと選択できればいいのにね!
ちなみにヨシヒコはアイドルになってしまってあら大変!というストーリーだったのだけれど、実際の世界でもこういうミスマッチは起こっているんだろうなあと思った。
コメディを見ても現実世界の問題と紐づけてしまうのだから、この就活というのは末恐ろしい。
いよいよ、真剣になる時期が来たのかもしれない。
この時期がこれほど暇の有り余る季節に設定されているのは、ありがたいのか、ありがた迷惑なのか。