思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

チャンスは徒歩でやってくる

渋谷でよくすれ違う男性がいる。
 
土曜日の夜、渋谷でも特に東横線の渋谷駅に向かう道の途中で見かけることが多い。
これは私の記憶力が異常に優れているとかそういうことではなくて、ただただ彼の見た目がとても奇抜だから、私はこの人と会うたび「ああ、また会った」と気づくことができる。
 
という話をこの間友人としていて「実は都会ですれ違う大勢のうちほとんどは、週に何度かまたはそれ以上会っている、いわば『顔見知りの人』なのかもしれない」と思った。というかなんか、確実にそうだと思う。
 
 
渋谷に限らず丸の内も新宿も梅田も栄も天神も札幌も、あらゆる地方で「人が多い」と言われる場所のほとんどはきっと同じ人が何度も行き来することで成立する街なのだろう。東京はチョット特殊かもしれないけれど、でも大抵は当てはまりそう。
 
だからこそ「同じ場所でなんどもすれ違う人とマッチする」みたいなマッチングサービスが成立するわけだし、同じ漫喫でいつも隣り合わせになる男女を題材に、素敵な恋愛小説が生まれるわけだ。
 
 
中には「女は星の数ほどいるんだぜ!」とかなんとかいう浮かれたお花畑野郎もいるが、実際に捕まえられる星の数はせいぜい数十人、運が良くても百数人程度しか転がっていないと思う。
 
こんな有限の中から恋人を見つけるんだから、物心ついた年から1人半年ずつ試しても時間はそこまで無駄にならないような気すらしてくる。それに、ふとしたことから「同じ場所で、同じ人と何度も何度も会ってるんだ!」と意識した途端、急に運命感じて追いかけちゃうみたいな心理もわからなくはない。まあ、それがどの程度許されるかはさておき。
 
 
だから何が言いたいかというと要するに、私たちが街を歩く時、実はそこら中に落ちているチャンスをボールのように蹴り飛ばしているのかもしれない、という話だ。
 
ただ音楽を聴きながら目的地に向かっている時も、疲労困憊で帰り道を歩いている時も、あらゆるチャンスは向かい側から歩いてきているのかもしれない。
それをないがしろにして蹴り飛ばすのか、あるいは可能性を見込んでボールを拾い上げるのか。その判断はその時の心理状態にも依るかもしれないが、どれも慎重に行いたいね。
だって今日はW杯決勝戦だから!