思考の自由研究

世界で一番かわいい言葉は「もぐもぐ」だと思う

時間を遮る扉について

今年は春がいつの間にか始まって、気づけばすでに夏の扉が開かれている感じがする。
季節の変わり目はこれまで、急に扉が開かれるようなモノではなく、緩やかな坂をだんだん登ったり下ったりするイメージのモノだった。
これも温暖化だとかいうやつの影響なのかもしれないが、これから先、こういう「扉タイプ」の季節の移ろいが普通になるのかと思うと少しサミシイ。

扉が開くように始まるのは待ち遠しい夏休みだけで十分で、季節としての夏は、ある日セミの鳴き声がどことも知れぬ窓の外から聞こえてくるとか、雨上がりのじっとりした油っぽい匂いとか、そういう繊細な変化でわかるようになりたいと思う。
と言いつつも、毎晩遅くまでブルーライトを浴びる生活では、本来あるはずのその感覚すら薄れてしまうのだろうけれど。

季節に限らず扉のように移り変わってしまうのはたくさんあって、年度始めとか、新学期とか、そういう「事始め系」の暦は人間が決めたものだからなのかあちらの都合で急に切り替えられてしまう。
こっちの都合も少しは考えてよね、と思いながらも、結局それに従って、時代の流れはおろか自分のテンポすら崩されてしまう感じがして悔しい。
こういう切り替わりの要になっている扉は、できれば自分のペースで開け閉めできるようにしてほしい。
社会に出て他人と関わる以上、それは永遠にできないことだとはわかってる、わかってるんだけど、もうちょっとこの密室の息苦しさがなくなればいいのになと思う。社会は大海だとかいうけど、私には息苦しい密室のように感じられる。
この部屋の扉が全部自由に開けられるなら、大人になるのも少しは楽しみに思えるのかなあ、とか、あるようでないことを考えたりする。こういうことを考えるのがそもそも、怠慢な日々に飽きてしまったフツウの人が考える、平凡で他力本願な考え方なのかな、とも考えたりする。

ぼけっと毎日をこなすだけの日々に怖れを抱いている今、この瞬間から、何かが変わればいいなと、変えられたらいいなと思って、そして明日の朝起きたら何事もなかったかのように全てを忘れてしまうのが、とっても怖いなあと。毎日コワイコワイ。